最近、ビジネスの現場、特に若手社員の研修の際などに頻繁に使うのが、「無常識」というキーワード。(若手社員だけではなく、学習塾や幼児教育に長年携わるスタッフなども、ビジネス世界の常識が無い「無常識」だったりしますね)
それぞれ人々が生活フィールドとしている世界の「常識」というのが、現代社会においては全く異なっているように思う今日この頃。
学生と社会人。
職人世界に生きる人とビジネス世界に生きる人。
既得権益に守られた人と新しくマーケットをつくる人。
どちらが良いとか悪いとかではなく、全く住む世界によって常識が違うわけですから、新しく違う世界に入ってきたときには、常識がなくて当然、そのことを「非常識だ」と否定してはいけないと思うのです。
我々のビジネス世界のスタンダードな感覚だって、他の世界に行けば非常識だったりするわけですから。
非常識と責めるのではなく、常識が違うことを認識し、常識を共有化する、ここから全てが始まると考えましょう。
かくいう私も様々な常識の違いに日々触れることがあります。
よくあるケースとしては
「学生や研究者の方から、一度お話を聞きたいのでお時間をとってくれませんか?」
といって日時をガッチリ指定されるケース…。
うん、そちらの都合があるのはわかるのだけど…(^▽^;)
別に自慢ではないけど、
私、1時間あたり有料で人と会っている職業の人間なんだけどな…
私、毎日朝から晩までギッチリ予定詰まっているんだけどな…
私、そんなにいつでも時間空いているように思われるのかな…
時間を細切れにしてタイトなスケジュールで生きている人の常識ってわからないですもんね、まあ仕方ないのです。
こういったケースを「非常識」といって、批判するのがよくないことだと思うのです。
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