周囲の人から嫌われたくない、いい人と見られたい。
普通の生活をしている上では当然の感覚。
しかし、それが経営の世界、特に管理職や経営幹部クラスの世界になってくると、
上記のような感覚を持ち続けていては、かえって命取りになりかねません。
目の前のスタッフへの機嫌取りの選択が、大局を誤らせるということは経営の世界では頻繁に起こります。
なぜなら、会社組織というのは様々な価値観を持つ人の集まり。
全ての人が近い価値観を持つことでさえ不可能といえます。
(しぶしぶでも納得してくれれば幸いなくらい)
必然的に会社全体の最大公約数的な幸せを目指したとしても、一部の不幸な人間は生まれるわけです。
例えば私のこんさるたんとという職業というのは、意外かもしれませんが、
「万人に感謝されることを目的として」仕事はできません。
むしろ1人の感謝の陰には、その数倍の人間の「マイナスの感情」を背負うことになります。
自分の既得権益を守ろうとする人達、その自分の既得権益がさも会社の利益になると言いたげな勢力。
そういった人達に対して、「社会的に正しい姿」「会社経営的に健全な姿」にするために、
大ナタを振ることが多いわけですから、一体どれだけの恨みをかうことになるのでしょう…。
企業の改革・改善っていうのはそんなものです。
「企業」という人の集合体が一番幸せになる最大公約数=より多くの人が幸せになる手段
を選択し続けるのが私のような仕事の役割ですので、その選択は時には経営者や経営幹部にとってですら、
一時的に苦い選択をお願いすることだってあります。
なぜなら、それが長期的な視点で見れば経営者様のためになるから…。
「もしかしたら、社長に今回意見をすることによって私はいなくなる(契約解除)かもしれませんので、
そのときは後のことはお願いいたします(´・ω・`)」
何度、経営幹部の方やスタッフさんに、そんな決意表明をして経営者様に直談判をしたか知れません。
だから、この仕事をするようになって、いつからでしょうか。
人から嫌われたり、負の感情をぶつけられたりすることへの恐怖はなくなりました。
経営者の方とぶつかって契約解除されることがあっても、全くショックをうけることはなくなりました。
(素晴らしい経営者様とお付き合いさせていただいたおかげで、そんなケースはほとんどありませんでしたが)
これが「自分のメリット」や「自分の幸せ」のためだったら、誰かからの反論に耐えられなかったかもしれません。
しかし、私は「より多数の幸せを守るために最善の選択」を選び続ける!と考えられるようになったので、
恐怖を克服できたように思います。
私の立場における選択には「私」の感情はいれてはいけません。
依頼先の会社組織全体という「公」への責任感を持つのみです。
たぶん会社の一員だとしたら「公私」を完全に切り分けることは不可能だからこそ、
外部の人間としての冷酷な、時に暖かい「公」の感覚が必要とされるのではないかと思います。
そんな職業人としての意識が自分を支えているように思う今日この頃です。
1年振り返ってみると、今年1年は大きな仕事をいっぱいしました。
だからこそ、いっぱい色々な人の恨みをかってしまったなぁと思いましたねぇ…。
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