昨日のブログの内容は、
疲れのあまり意識がうつろになりながら書いた割には、今読み返してみると
「なんかすごいこと書いてる」
と思いました。
あまりに疲れているとかえってマトモなことが書けるようになるのか?
はたまた中日が首位になったことによる無意識の喜びがそうさせるのか?
昨日の内容は、別に人の採用や離職に関するボヤキというわけではなく、
雇われる側も、雇う側の心理状況や気持ちを理解できるとステキだよね~って話。
だって人の気持ちを考えて行動するなんて、
ビジネスパーソンにとって必要不可欠であり、最強に必要なスキルですからね。
お客様の気持ちはわかっても、上司の気持ちは考えたくないなんて、そりゃわがままやろうと。
私の身分はサラリーマンでありながら、
非常に経営に近いところの感覚を持ちやすいのでこんなことを感じるのでしょうね。
(そういう意味ではウチの会社は「経営者の大変さを理解している社員の集まり」になっているわけで、
会社の矛盾点や大きな改革でどんなに自分達に不利な状況が生まれたとしても、
決して反抗的になるのではなく「社長大変ですね…」みたいな生温かい同情も生まれるおもしろい会社だと思った次第です(笑))
そもそも近代資本主義社会の嫌な点として、資本家や経営者を仮想的や全くの別人格とみなし、
従業員は被害者で権利を主張してもOKな風潮はどうかと思いますよね。
経営者・会社=悪 雇用者=善 みたいな常識辞めようよ~と思います。
マルクスが生きていた時代とは世の中違うんですから。
経営者の方もすごく従業員のことを大切に考えていることがある時代ですよ、現代は。
経営者の方も従業員の幸せのためにすっごく悩んでいます。
それを知ることからも始めなければいけないのでは?
例えば、辞めていく社員が自分のことを正当化して
「いかに今の会社が問題なのか」を周りの社員にボヤいていくことがありますが、
これも周囲の聞く側が冷静で、経営者的な発想があれば、
「オマエの採用・給与・機会損失など、会社に与えた損害額がなければ、私の給料がもうちょっと上がったのに、どの口が言うんじゃ!」「悪いのはオマエじゃ」って気持ちになったりもするはずなんですけど…。
なんか上記のような経営者=悪論が浸透しているので、そんな感覚になりにくいのが問題ですよね。
そりゃもちろん、世の中には女工哀史のような経営者もたくさんいるでしょう。
野麦峠を通ってきたかのような職歴を持つ人って山ほどいますし。
でも、少なくとも私のお付き合い先の社長さんは、すっごく従業員のことを大切にしている。
従業員の人生のことまで真剣に考えている。
だからこそ、スタッフさんががんばってくれて業績が上がる。
っていうかスタッフを使い捨てにするような会社さんとはお付き合いしませんし。
(何やっても業績上がらないってわかりきっているから)
社長さんたちがせっかくそんな気持ちでいてくれるのに、
肝心の従業員側が「経営者=悪」みたいな発想でいたら、対話も出来ず誤解も解消できず、
ベストな関係なんて築けないと思うんですよね。
ですから、雇われ側も今までの世間の常識を捨てて、
「経営者論」を熱く語れるくらい社長を理解してくれたらきっと、もっと良い関係ができると思います。
…ってなわけでこの内容に共感された方、
これはと思う仲間や部下にコピペして文章送ってあげてください(笑)
きっと価値観が多少はかわるはず…。
(余談)
ちなみに女工哀史の代表として語られる「あゝ野麦峠」ですが、
映画版は労働者の悲惨な待遇ばかりをピックアップしているものの、
実は原作では「農家の実情はもっと厳しく」「出稼ぎにいったほうがはるかにマシだった」「100円工女の幸せ物語」「本人たちは案外満足していた」など、肯定的な部分もたっぷり書かれているのです。
(エライぞ岡谷地区!)
しかし、私が高校の歴史教師から学んだのは「いかに昔の日本の企業がひどかったのか」「女工哀史って言葉がある」みたいな流れでの「あゝ野麦峠」でした。
「あゝ野麦峠」やマルクスの「資本論」にしてもそうですが、どうも経営者や資本家を悪にしたい人が世の中多かったようで、その人達のゆがんだ情報に影響受けすぎですよね…我々。