まさかの赤福ショック(´・ω・`)
理念を貫く会社のモデルともいえる赤福があんな不祥事をやっていようとは…。
正直驚きました。…というかなんでなのか全くわからないです。
高塚社長のセクハラ事件ならなんとなくわからないでもなかった。
でも、あの赤福が…といった感じで呆然としました。
あんまり赤福という企業をご存じない方のためにご説明しておきますと、
赤福は老舗企業の暖簾、ブランドを守り続けたその志、
おかげ横丁開発に投資をするなど地域貢献活動への積極的な取り組みなど、
「金儲け」だけではなく「企業とはかくあるべき」といったすごい逸話がたくさんあるわけです。
私のような中小企業経営に関わる人間にとっては、まさに伝説でありモデルでした。
ハッキリいって白い恋人社とは比べ物にならない企業だったのです。
やってしまったことは悪いことですが、
それでも今までの赤福のブランドがすばらしかったのは事実なので、
赤福の名誉のために最も有名なお話をご紹介。
時は戦後間もないころ、株式会社赤福の初代社長(当主としては8代目らしい)「浜田ます」さんのお話です。
日本の敗戦後、日本では物資が不足し、赤福をつくるための良質なもち米や小豆が手に入りませんでした。
ヤミ市に行けば材料は手に入るのですが、赤福の求めるような味を出すことはできない…。
そこでますさんが打ち出したウルトラCの策がなんと、
「納得のできる赤福がつくれるようになるまで赤福の販売禁止」
という手段だったわけです。
(吉野家の牛丼販売停止はこのエピソードをなぞっていたと思われる)
「まずい赤福をつくって売ったら赤福が赤福でなくなる…。味がわかる人からは赤福はこんなものかと嘆かれる」
そんなわけで結局販売開始できたのは、5年後。
営業再開までの5年間は売上は激減。
そんな中でも従業員をクビにすることなく、数十名いた従業員に対して休業補償をし、
自宅待機をしてもらっていたそうです。
しかも、その休業補償の原資を一族の土地や建物、さらには嫁入り衣装まで売り払って調達したのです。
そこまでしてますさんが守りきった赤福の暖簾。
この赤福の確かなブランドによって今の成功があるのです。チャンチャン!
…こんな伝説があった企業なんですけどねぇ。
現社長はますさんの孫か曾孫になるらしいですけど、一体何を学んでいたのだか(*`Д´)
ちなみに、もうひとつの逸話としてふれておきたいのは、「おかげ横丁」。
伊勢神宮前に広がる鳥居前町なのですが、
お土産や飲食店が昔ながらの雰囲気で店を連ねており、ミニテーマパークになっているのです。
この総事業費140億といわれる町並みを
「300年商売をやってこれたのは、お伊勢さんのおかげ」という考えのもと、
ドーンと投資したのだからすごいものです。まさに地域貢献&町おこしの究極系だといえるでしょう。
余談ですが、赤福餅の類似品として「御福餅」ってのがあります。
(パッケージは赤福のパクリ(?))
空港や新幹線の売店などの販路を確保しており、目にする機会が多いお土産です。
このお土産が赤福が店頭から消えたことで、代替商品として結構売れているらしいです。
しか~し。この御福餅。
赤福の味を期待して買ってしまうと、とんでもなく後悔します!
ハッキリ言って味は赤福と比較になりません。
地元の人、甘党の人、お土産常連の人など全ての人にとって同様の見解です。
賞味期限は切れてたかもしれませんが、材料へのこだわりは赤福が抜きん出ていたからでしょう。
赤福味を期待して御福餅を買っても、イラつきが残るだけだと思われます。
ご注意ください(笑)
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